科学史 (4) 中世ルネッサンスの科学

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グーテンベルクの活版印刷技術によってギリシャやアラビアの科学書が大量複製され、
ヨーロッパの科学復興が促された。
しかしコペルニクスの地動説を発端とした宗教との対立が勃発する。
渦中に巻き込まれることになるガリレオはアリストテレスなどの古代の偉人の発言を鵜呑みにせずに、
実験・観測をもとに法則を見出すという実験科学を推し進めていった。
数学では扱いにくいローマ数字からアラビア数字への転換が行われ、
概念を簡潔な文字で記述し伝聞するための記号が洗練されていき、
現代に近いものが導入されていった。

レオナルド・ダ・ヴィンチ 1480頃

「モナ・リザ」「最後の晩餐」などの芸術分野が有名だが、学術分野でも多方面で活躍。
ヘリコプター、パラシュート、飛行機といった、
当時の技術では到底作れないものの概念を描いた。

ファン・デル・ホッケが+、-を加減算の記号として使う 1514
ロバート・レコード =の導入 1551

昔の数学書、あるいは現代でも他国語で書かれた数学書が現代と同じ感覚で読めるのは、
ひとえに記号類が共通であるからだ。
現代の数式で使う基本的な記号がこの頃使われだした。

ニコラウス・コペルニクス 天体の回転について 1514

出版は1543。
地球を太陽が周るよりも、太陽を中心に公転していると考えるほうが惑星の運動をよく説明できる。

ルターの宗教改革 1517

教会は天動説推しであったため、やがて地動説を推す科学者サイドと対立していく。

マゼラン一行が世界一周を達成する 1522

1519年スペインを出港したマゼランは南アメリカ南端のマゼラン海峡を通過して太平洋に出る。
道中で命を落としたが、生き残った艦隊がスペインに帰港して世界一周を成し遂げる。
南天に浮かぶ銀河系の伴銀河:大マゼラン雲、小マゼラン雲は彼の名にちなむ。

Gハルトマン 伏角の発見 1544

緯度が高くなればなるほど、磁針の北を示す先が下に沈む。

カルダノ 三次方程式の解法 1545
フェラリ 四次方程式の解法 1565

解が実数解のみの場合でも負の平方根を経由する必要があった。
しかし当時は負の数ですら存在しない空虚な数であると考えられていた。
ヨーロッパでは1800年頃まで負の数の存在に否定的であった。
いわんや負の数の平方根をや。

フランソワ・ビエト 解と係数の関係

\( 一次方程式 ax+b=0 の解を\alphaとおくと, \)
\( \alpha=-\frac{b}{a} \)
\( 二次方程式 ax^2+bx+c=0 の解を\alpha, \betaとおくと, \)
\( \alpha+\beta=-\frac{b}{a}, \alpha\beta=\frac{c}{a} \)
\( 三次方程式 ax^3+bx^2+cx+d=0 の解を\alpha, \beta, \gammaとおくと, \)
\( \alpha+\beta+\gamma=-\frac{b}{a}, \alpha\beta+\beta\gamma+\gamma\alpha=\frac{c}{a}, \alpha\beta\gamma=-\frac{d}{a} \)
\( 一般のn次方程式で同様の関係が成り立つ. これを基にして五次方程式の解の公式の探索がなされた. \)
\( その解決はガロアの登場を待たねばならない. \)

ティコ・ブラーエ ティコの超新星 1572

デンマークの天文学者:ティコが詳細な観測データを遺した。

ガリレオ=ガリレイ 振り子の等時性 1581

振り子の周期は振り子の長さだけで決まり、振幅に依らない

\( T=2\pi \sqrt{\frac{g}{l}} \)

→現代の目線では振幅の小さいときのみ正しい。

オランダのシモン・ステヴィン 小数の発明 1585

『十進分数論』にて現代のような小数点表記を採用。

ウィリアム・ギルバート 地球は磁石である 1600

模型を使って伏角の大きさの変化などから推測し、地球は巨大な磁石であることを結論づける。

ガリレオ=ガリレイ 運動の法則

実験と計測によって物理法則を見出していった科学者である。
当時は長さと重さぐらいしか正確といえるレベルで計測できなかったが、
時間、温度、圧力を計測して数値化できるようにした。

ガリレオの発明した計測器は後の科学者によって改良が重ねられ、
観測技術の向上に寄与した。

望遠鏡を改良して天体観測を行った

  • 木星に衛星を発見 (ガリレオ衛星と呼ばれる) 1610
  • 金星の満ち欠けを観測。
  • 太陽黒点を観測。

物体の運動に関する法則

  • 物体の落下法則 (自由落下運動) \( y=\frac{1}{2}gt^2 \)
  • 慣性の法則 (動いているものは力を加えない限り動き続ける)

「それでも地球は動いている」

対数の発明 ネイピア 1614

乗除算は計算の手間が大きい。
\( x \cdot y\)を計算するときに\(x \Longrightarrow X, y \Longrightarrow Y\)と変換する.
\( X, Y \)の世界で\(X+Y=Z\)を計算して\(Z \Longrightarrow z\)と逆変換すると
\(z=x \cdot y\)である。乗除算を加減算に置き換える魔法のような仕掛けが対数である。
当時の手計算の世界ではこの効果は大きい。

ヨハネス・ケプラー 惑星の運動

ケプラーはティコの観測データを基にして、地球の軌道と火星の軌道を円軌道と仮定して求めた。
しかし現実の観測データと比較すると、誤差とは思えない差異があった。
観測事実と一致するのは惑星の面積速度が一定としたときであった。
そこから惑星の軌道は円軌道ではなく楕円軌道であることが導かれ、
それを他の惑星にも適用することで第三法則を見出した。

  1. 惑星は、太陽を焦点のひとつとする楕円軌道上を動く。 1609
  2. 惑星と太陽とを結ぶ線分が単位時間に描く面積(面積速度)は、一定である。 1609
  3. 惑星の公転周期の2乗は、軌道長半径の3乗に比例する。 1619

スネルの法則 1621

波が媒質の異なる境界を進むときの法則。

$$ \frac{\sin{\theta_1}}{\sin{\theta_2}} = \frac{v_1}{v_2} = n_{1\ 2} $$
入射角と屈折角の比と速度の比は媒質が同じであれば常に等しく、\(n_{1\ 2}を相対屈折率という。\)

塵劫記 1627

江戸時代の和算の始まりともいえる算術書。

ルネ・デカルト

  • 現代と同じような文字を使った数式(未知数にx, y, zを使う)
  • デカルト座標 1637

デカルトによって幾何学が代数として表現できるようになった。
座標という概念が生まれ、負の数も感覚的に受け容れられやすくなった。

フェルマー

フェルマー数

\( F_n = 2^{2^n}+1 \)
\(フェルマーはこの形がすべて素数であると考えたが, オイラーが反例を示した.\)
\( F_5=2^{2^5}+1=4294967297=641 \cdot 6700417 (オイラー) \)
\( F_5 以降に素数があるかどうかは未解決.\)

フェルマーの2平方定理

奇素数が4で割って1余ることと2つの平方数の和で表されることは同値である.

\( 奇素数pがp\equiv1 (\!\! \mod 4) \Leftrightarrow \exists x,y \in \mathbb{N}\ \  p=x^2+y^2  \)

ペル方程式

\( x^2-Dy^2=\pm 1 \ の形のディオファントス方程式. \)
\( 任意の平方数でないDに(x, y)=(\pm 1, 0)以外の非自明な解が無限個存在する. \)

\( D=61のときの最小の自然数解は(1766319049,226153980) \)

フェルマーの小定理

\( pが素数, aがpと互いに素な自然数のとき, \)
\(a^{p−1} \equiv 1( {\rm mod}\ p) \) (1640)

フェルマーの最終定理

\( x^n+y^n=z^n (n \geq 3 の自然数 ) を満たす自然数の組x, y, zは存在しない. \)
この定理に関して私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる。
実際にこの証明が得られるまでには300年以上の時を要することになる。

マラン・メルセンヌ 1644

 \(2^n-1\)が素数になるのは、\(n \leq 257\) では, \(n=2, 3, 5, 7, 13, 17, 19, 31, 67, 127, 257\)だけである
この予想のうち67, 257は合成数でリストに抜けもあったが、この形を研究したメルセンヌにちなんで
\(2^n-1\)の形の数をメルセンヌ数と呼ぶ。
メルセンヌ数のうち素数のものを列挙していけば、そこから完全数を得ることができる。
しかし、当時は高速な素数判定法が存在しなかった。

エヴァンジェリスタ・トリチェリ トリチェリの真空 1643

ポンプで水を吸い上げるときに10m以上で吸い上げられない問題を調査していた
ガリレオ・ガリレイを引き継ぐ形でトリチェリが研究した。

水銀で満たした容器の中にガラス管を沈めてから立てると、
ガラス管内の水銀は水面から高さ76cmほどのところまで落ちる。

$$ {\rm 1atm = 76cmHg} $$

真空の存在と大気圧の大きさを示した。

マクデブルクの半球:大気圧の実験 1654

ドイツのマクデブルク市長のオットー・フォン・ゲーリケが、
銅製の半球を合わせて真空ポンプで空気を抜いたものを
馬に引っ張らせるという公開実験を行った。
半球を引き剥がすには16頭の馬を要した。

ブレーズ・パスカル パスカルの三角形 1654

何世紀も前から研究はされていたが、パスカルはその成果をまとめた。

\( 組み合わせ {}_n C _r の数が並び、\)
\( 各段は(a+b)^n \) の係数になっています。

クリスティアーン・ホイヘンス 土星の衛星:タイタンの発見 1655

後に土星探査機:カッシーニ搭載のタイタン探査機の名前になる。

クリスティアーン・ホイヘンス サイクロイド振り子 1656

振幅によらず周期が一定の振り子。